俳句の勉強 参考資料の検索
俳句の詠み方について著名な俳人の考え方や捉え方を無手勝流で抜粋しました。
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ヒント一覧   <全体の中の~件を表示>

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1五七五の力  著者 石寒太
ヒント池に向かって石を放りなげると、その石の中心からしだいに波紋が大きくひろがってゆく。そのように波紋が大きければ大きいほど、いい作品となって感動をよぶ。波紋が広がらない俳句は、それだけ読者の想像(イメージ)する余地が少ないということである。
俳句は、いっていない部分(省略された部分・切り取られた部分)で、読者に多くをイメージさせる、そういう詩型なのである。 
2ひとこと  著者 虚子
ヒントちょつと俳句に慣れてきたら誰でも作る上手風の句ではなく「ぼーっとした句、ぬーっとした句」がよい。「ふぬけた句、まぬけた句」がよい。 
3踊り字の入力方法  著者 ネット
ヒントおどりじ・躍り字は、漢字変換ができる。俳句でよく使われる踊り字の入力方法を知らなかったのでメモとして追加。 

IMEの場合は、 「おなじ」 で変換すると 候補に以下のものがでてくる。
「ゝ」「ゞ」「ヽ」「ヾ」「〃」「々」
 
4一億人の俳句入門  著者 長谷川櫂
ヒント・俳句にも作者と読者、二つの驚きが必要。
 驚きとはビックリ仰天することではなく、はっと気づくこと。はっと驚くためには、まず、それが作者だけでなく読者の心の
 中にもひっそりと眠っていること。 次に、まだ誰もそれを言葉にしたことがないこと。
・一物仕立てと取り合わせ
 一物仕立てとは、一つの素材を詠んで仕立てた句である。取り合わせとは、二つの素材を組み合わせることである。
 どれとどれを組み合わせたらすっきりと仕上がるか、何を組み合わせたらこれが引き立つか。さまざまな組み合わせんから
 ただ一つの組み合わせを選び出してくる。
・切れの働き
 切れの働きは省略であるという人もいる。
 また、「や」「かな」「けり」などの切字は強調にあるというひともいる。
 切れと切字の働きは省略でも強調でもない。その名のとおり句を切ることにある。
 第一に「間」を生む。第二に「音楽」がうまれる。 
 間とは、余計なものが入る隙のないすっきりした空間や時間である。心理的な間を生み出す働きもある。
 言いたいことを我慢して省略すると、もの言いたげな、もの欲しそうな句になる。いうべきことだけを切り出してくる
 のである。いいたいけれどいわないなどはじめから存在しない。
・俳句を詠むとき大事なこと
 一、 わかるように詠む
 一、 すっきりと詠む
 一、 いきいきと詠む
・写生
 写生はものの姿を言葉で写しとること。
 それは目に見えるものを見えるように写すだけでなく、目には見えないものも見えるように写しとることである。
・題詠と季題
 季語は季節を表す言葉である。
 題詠とは、ある題のもとで俳句を詠むこと。題のうち季節にかかわる題が「季の題」である。
・旧仮名と新仮名の共存
 文語体を選ぶか口語体を選ぶか、旧仮名遣いで書くか新仮名遣いで書くかは一人一人の選択に委ねられることになる。
 カタカナを使うこともかまわない。俳句に使ってはならない言葉はない。むしろ、どんな言葉でも使いこなせなければならない。
・句会の手順
 1.出句・・・決められた数の句を書いて出すこと。投句ともいう。題がある場合は題詠、
       前もって出す題が兼題(かねて出してあるの意)、句会の場で出す題が席題である。
       雑詠は各自持ち寄るので持ち寄りともいう。
 2.清記・・・短冊の句を清記用紙に写すこと。
 3.選句・・・清記用紙を回して俳句を選び選句用紙に書く。
 4.披講・・・選句用紙を集めて披講者が読み上げる。自分の句ほ読み上げられた人は名乗る。精記用紙に点盛り(集計)をする。
 ※ 句会で大切なのは無名ということ。選句に私情が混じらないようにするため。 
5虚子 俳話録  著者 赤星水竹居
ヒント・よい句は天から授かるようなもの。あまり苦しんだ時にはよい区はできない。すらすらできたときに
 よい句ができることが多い。
・とにもかくにも、俳句を作るには、まず自然を静かに見つめておいでなさい。すると、初めはただ
 見ているだけでつまらぬようだが、しばらく辛抱しているうちに、あるいは風が吹いてきて花が揺れる
 とか、、また蝶々が飛んできて花に止まるとかして、一種の感興がおのずから湧いて出るようになる。
 そこで、その感興を捉えて十七字の俳句に纏めるのです。
・いくらひねくっても悪いことはありません。練るだけ練って舌頭に千転するくらいでなければいけません。
 ただ同時に、できるだけ単純にするということを忘れてはいけません。
・類句でもよいものは一つ生かしたら?
   類句の出るような句は、別に残したいと思うほどの句はありません。 
・ちょっとした文字の使い具合で、その句が生きるか死ぬるかの境となる。また、ちょっとした感じの相違
 で、その句の活殺の問題となる。俳句を作るにはよく落ち着いて、注意の上に注意して作らねばならぬ。
・平凡と思ってしまう句の中に、面白い複雑な感興が織り込まれいたり、複雑で面白い句と思っている句の
 中に、何一つ纏まった感興を持ちえないものがある。
・誰でも吟行をするとき、吟行の行の字に重きを置いて、一か所に落ち着いて物を見ずにとにかく歩きたがる
 ものですが、追々と昨句の力が進んでくるにつけ、落ち着いて物を見るようになって行の字よりも吟の字に
 重きを置くようになります。
・初心の人の句は、うぶでまざり気がないからとれます。だんだん分かってくると倦怠の心が起こります。
 そこを突破すると、更に句境の新天地が眼前に展開してきます。そんなことを幾度も幾度も繰り返して
 いくうちに、自然に上手になれます。
・少年の俳句は、純真は純真だが、深みがありません。
・入選しても入選せんでも、いつも同じ顔をしてよく句会に出てくる人は、将来必ず大成する人です。
・俳句は天才でなくても勉強さえすればできますよ。ただしこれは、俳句に限らぬようですが。
・客観を描写しつつそれに主観がにじみ出ているのが最高の文芸ですね。
 人間生活を自由に写せるようになるには、悲しいとか、嬉しいとかいう主観の臭いが取れてしまわねば
 いけません。
・俳句は全くその日の調子で、出来不出来がありますよ。その時の調子ですが、その調子というものは
 不断の緊張から出てくるものです。
。俳句でも謡でも、初心のうちに褒められる間は、皆喜び勇んで稽古をするが、少し進んで小言を言われる
 ようになるとだんだん止める人が多くなる。教えるほうは、小言をいってもいいようになるまで仕上げる
 のに苦労したのに、ままならぬものです。
・披講の時に、よく選句を読み違える人があるが、披講は文句を読み違えないようにするのみでなく、
 その口調もその句の心持を活かすように、句の調子によく気をつけて読んでもらわねばなりません。
・俳句の季は扇の要とはよく言った言葉です。
・すべて写生句を作るには、物を見た時の最初の瞬間の感じが最も大切です。
・つまり人生は、見ようによってはすべてが滑稽だ。人間は真面目になればなるほど滑稽だよ。
・俳句の道には、画から入る人のほうが歌などから入る人より入り易いです。つまり、絵のスケッチと
 俳句の初心の心持とは一脈相通じているようです。
・俳句でも文章でも小説でも、感情をそのまま写した作品と知識からでた作品とおのずから二種類ありますが
 感情から出た作品は子供の歌のように天籟の妙音を聞くような感じを与えますが、知識から出た作品は老人
 の講釈を聴くように理屈で筋は立っていても文芸としてはだめです。
・旅行などをした折で、自然の山や川ばかりで人事関係の全くないところを文章に書くには動きがなくて
 平凡すぎて書きにくいですね。こんな場合はどういう風に書けばいいでしょう?
 ⇒まあその中で、山の形とか岩の姿とかを形容して多少の波乱を起こさせるよりほかにしかたないでしょう
  そのうちに鳥が飛んでくるとか魚が泳いでいるとか、なんとか動きの材料も見つかるでしょう。
・あの橋の上の先生を見よ。さっき僕らがここを通った時も、あの橋の上に立って流れを見ておられたが
 いまにああして立っておられるよ。
・句の多少は問題になりません。一生にいい句が一句あったらたくさんです。
・寝床の中で考えたりしたとて、いい句はできませんよ。やはり句会にくるとか、皆と一緒に吟行に出かけ
 たりして、緊張して作った句にいい句があります。
 毎度申し上ぐる通り、俳句は落ち着いて、よく物を見て、よく考えてつかみどころを確っかりとつかんだ
 のでなくては、いい句はできませんね。 
6俳句理解の心理学  著者 皆川直凡
ヒントポイント
 SD法により俳句の特徴を分析している。
<米> SD法(Semantic Differential method)とは、
    心理学的測定法の一つである。ある事柄に対して個人が抱く印象を相反する形容詞の対を用いて測定するもので、
    それぞれの形容詞対に尺度を持たせ、その尺度の度合いによって対象事項の意味構造を明らかにしようとするもの
    である。
以下抜粋

俳句の読み方
  上5で切り、後の75を一気に読むか、前の57を続けて読み一呼吸おいて下5を読むのが理想
  5・7・5で区切る「三段切れ」は単調すぎて不適切、俳句の中では「切れ(区切り)」は一度が望ましい
季語とは
  1.四季の中のどれか一つの季節そのもの
  2.その季節の間に自然界に目立って現れてくる事物。たとえば、季節の植物。
  3.その季節の間に人間界に目立って現れてくる事物。たとえば、その季節にふさわしい衣服。
  4.その季節の間に人間が行う事柄。たとえば、各種の行事。
統計手法も取り入れた比較
  俳句と短歌、俳句と川柳、俳句と漢詩がされているが、どのように受け止めたらよいのかわからない。
    いずれの比較においても例外がある。
  俳句に対する感性的、共感的理解などについても分析している。 
7花・紅葉  著者 小室善弘
ヒント俳諧はもともと、王朝和歌の風雅の伝統を批判して、俗の側に立って、それとは別の世界をひらくことをその出発点としてきた。
このことを芭蕉が俳諧の花(桜)を扱うにあたって最も強く頭に置いたと思われる。「花にうき世我酒白く食(めし)黒し」・・・どぶろくと麦飯で貧しい生活を表している。

だれもが同じ題材を同じ視点からばかり詠んでいたら、俳句のような短い詩では、たちまち類型化する。類型化を避けるためには一般の見るのとは違った自分独自の視点を見つけることをいつも心がけていなければならない。

鹿と紅葉、竹に雀、月に叢雲などのように風流を通俗的に表すものをなぞっては新鮮な句はできない。 
8俳句という愉しみ  著者 小林恭二
ヒント俳句という極小なる容量しか持たない文芸は自分だけで完成しえないという宿命を持っている。つまり、足らざる部分を読者の想像力に補ってもらってようやく完成するのである。

秋櫻子は虚子(ほととぎす)に反旗を翻し「馬酔木」を結成、加藤楸邨、石田波郷、石橋辰之助、高屋窓秋、橋本多佳子らが入会した。山口誓子も一時馬酔木によっていた。

俳句は野球に例えられるかもしれない。ひとりで野球の練習をすることはできる。学ぶこともできる。しかし、一人で野球をすることはできない。俳句もまた同じで゛、一人で俳句を完成させることはできない。

俳句は言葉に即して詠むのが肝心。最も難しいことで、とかく言葉に即して読む前に自分の思い込みや特定の単語に対する思い入れで読んでしまう人が多い。そういう人は、俳句を詠んでいるつもりでも、結果的には俳句とまったく関係ない自分の思いを述べているに過ぎない。

一般的には、中七の途中で切る(中切れ)ことはタブー視されている。 
9季語の誕生  著者 宮坂静生
ヒント芭蕉の教え
 「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へと師の詞のありしも、私意をはなれよといふ事
  なり。・・・・・・
  習へといふは。物に入りて。その微の顕れて情感ずるや、句と成る所なり。たとへ、
  物あらはにいひ出でても、その物より自然に出づる情にあらさせれば、物と我二つに
  なりて、その情誠に至らず。私意のなす作為なり。」
 「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」とはすべての権威を捨て、松そのもの、竹
  そのものを見つめることを説いた。

「歳時記」とは
 俳諧、俳句の季語を四季別に分類し、必要な整理を加えたもの。
 解説や考証を加えたものもある。

「季寄せ」とは
 季題、季語を集めたもの
 
 
10悪党芭蕉  著者 嵐山 光三郎
ヒント芭蕉が曲水に宛てた手紙より
 俳諧者には三等の階級あり
  1.最下級
    点取りに夢中になって勝負を争い、風雅の道がわからぬまま俳席をかけずりまわり、
騒いでいる営業店者。
  2.第二級
    お金持ちの旦那でありながら、目立ったところには出ず日夜、二巻三巻と点取りに
夢中になり、線香が五分の長さに燃える間に連句一巻をする者。
  3.第一級
    真の風雅に精進を重ね、他人の評にとらわれず、定家の骨髄をさぐり、西行や中国の
白楽天に学び、杜甫の精神で俳諧の道をすすむ

芭蕉のいう「軽み」をわかりやすく受け止めれば
    「理屈をこねず、古典に頼らず、肩の力を縫い気軽に句作する」ということになる。


   
11柿食う子規の俳句作法  著者 坪内稔典
ヒント個人という意識が薄かった時代のものの見方というのは、皆が同じものを美とすることがいいことだった。だから江戸時代には名所旧跡などというものがあちこちにとてもたくさん作られる。皆が美しいと認めるものでないと美しいというふうには見えなかった時代なのです。それだけに、子規の自分の目で対象を見るということは革新的な斬新なことであったのです。
最近は、個人の目で見ることが常識化しているが、自分の目で見ているつもりでも、実際には見ていなくてその時代の強い見方に影響されていることがある。色眼鏡はなかなかはずせない。

「中村不折」の写生から「結構布置」(コンポジション)を学んだ。写生というと見たものをそのまま写すと思いがちだが、配合を意識している。配合というメガネをかけた写生が子規の写生であった。

一句からだれが作者かも分からず、だから、作者の体験が鑑賞者のうちに再生産されることもない俳句は、「芸術品としての未完結性すなわち脆弱性を示す」といわれる。実は私(稔典)もその通りだと思っている。ただ、だからといって否定するのではなく、その未完結性や脆弱性を俳句の特色(長所)と見るのが俳人としての私の立場である。

今日の俳句の作り方には大きく分けて二つある。
 ①感動を表現する。
 ②表現することで感動に気づく。

一題十句
 一つの題で十句を作る。
運座は袋回しと今は呼ばれるもので、句会の参加者が袋に題を書き、その袋を回して次々とその題の俳句を作る。
一題十句も運座も急き立てられて作る。ゲーム的な緊張感が作者の意識の集中や飛躍を促し創造力を高める。

子規にとって
   詩歌をつくること
   読書をすること
   文章を書くこと
   うまいものを食べること
   写生画をかくこと
  そうした一切が病気を楽しむことであった。 

 
12現代俳句全集  著者 水原秋櫻子
ヒントむかし(この本は昭和31年の出版)は俳句の題材といへばまず自然の現象が第一で、これを詠んだ句が俳壇の主流になっていたものでありますが、十年ほど前からその傾向は変わりまして、日常の生活を詠んだものが主流と認められるようになりました。それが今年に入りましてから、更に押しすすめられまして、社会的の出来事を詠んだり、同じ生活を詠むにしろ、社会の一員としての基盤に立って詠むことを意識するという傾向が強くなったてきました。・・・将来これが主流になることができるかどうか、なんとも予想はつけ兼ねるのであります。・・・・・いまの新進の人達は勉強もなかなか良くしておりまして、頼もしい感じを抱かせるのであります。

⇒最近の俳句の取り組み方を勉強しましょう。 
13現代の秀句  著者 水原秋櫻子
ヒント俳句作者たるものは、常に自然の美しさを発見して詠まなくてはならぬが、その美しさには幾多の段階がある。最も表面にある美しさは、修業をはじめたばかりの人にも見えるもので、いわゆる通俗的の美しさである。最初は誰もこれを詠む。そうしてすぐに飽きてしまい、つぎの段階の美しさを求めるのだが、これが自力では容易に発見されない。ただし、他の作者が発見した第二層の美しさがおぼろ気ながらわかる場合があって、それを鵜呑みにして吐き出すものがいわゆる模倣俳句である。・・・・・結局それに満足することができず・・・・・。自力をもって第二層の美しさを発見するには・・・・・作者が心を清澄にすればよいのだという。作者の心は鏡のようなもので、これがまだ曇っている間は自然の第二層の美はうつらない。修業の結果、次第に曇りがとれてゆくに従って第二層の美がうつりはじめる。・・・・・かくて一層心が澄んでゆくに従って自然の第三層の美がうつり、第四層の美がうつり、第五層、第六層と留まるところを知らない。・・・・・・・・・
こうして、心を磨きつつ自然を観察していくのであるが、俳句作者にはその上さらに表現の修業が課せられる。
俳句の表現の修業は先輩の句を多く読んで学ぶのが第一である。しかし、それのみに終始するなら、模倣と俳句仲間以外には通用しない略語造語を平然と使ってしまうようになる。
俳句作者は、まず言葉の正しい使用法を知り、これを俳句表現の上に活かしてゆかなくてはならぬ。そうして自然の美におどろいた時の感動をそのままに言葉の上にうつし出さねばならない。
このためには、やはり先輩の作例を学ぶのみにとどめず、進んで他の文学、ことに古今の短歌の傑作を範として勉強する必要がある。
かくして勉強を続けてゆくうちに、表現は単純より複雑に変化し、ひとたびは極度に技巧を凝らしたものになってゆくが、ある時期を過ぎると再び単純化して、技巧も一見平凡に見える如きものとなる。
これは、心の清澄化とともに起こる変化であって、清澄なる心にうつる自然の深層美は、技巧によって粉飾せらるる必要は毫もないのである。また、この期に至って単純化した表現は初期の単純なる表現とは著しい相違があり、単純は単純ながら、蔵するところの深い単純となるのである。つまり古画に引かれた単純なる一線の現すものと、俳句の一つの言葉の現すものとが同じような意味と価値を持つようになる。ここに至ってはじめて写生俳句も完璧なるものということができるであろう。

 
14朝日新聞 折々の言葉 2015.6.24  著者 鷲田誠一
ヒント上から見下ろさずに全体を見る  大峯あきら

これが俳句の理想だと、元哲学教授で僧侶・俳人の大峰は言う。自分を外して世界を上空から俯瞰できるような場所はない。しかし、世界を自分の場所からしか見ないのもだめ。ゆがみが出る。とすれば、世界が自分の内部を吹き抜けるところを見る? あるいは、世界の地響きに耳を澄ます? これは人生の難問である。今年5月18日付け本誌大阪本社版夕刊雉から。 
15俳句入門 三十三講  著者 飯田龍太
ヒント俳句は、命をいとおしむもの。自然をいとおしむ気持ちが根底にある。
「水楢の葉に盛る塩は牛の塩」の「は」は強い言葉でここに一つのリズムがある。
「一番言いたいところは書かないでおけ、それが文章のコツだ」佐藤春夫
一年経ってもう一度見直す。そのとき同じ気持ちになるなら佳作かも。俳句は選者兼作者。俳句の先生は自分。選者はあくまで参考。
リズムが内容にあっていると感銘する。
俳句は「無駄なものはなにか」を考える文芸。 
16引き算の美学  著者 黛まどか
ヒント本当にそこにコスモスが咲いていたのです。例えば一句の中でコスモスという季語が適当でないと指摘すると初心者の多くがこのように抵抗する。しかし、作者の感動をより鮮明に伝えるには、萩や女郎花のほうが良いことがある。
そういったとき私たちはコスモスをあきらめ実際にはなかった他の花にする。いや花どころか渡り鳥や鰯雲にすることもある。
日本の生け花が空間を花で埋め尽くさないように、俳句もまた言葉で空間を埋め尽くすことはしない。

ポール・クローデルの言葉
「日本では書であれデッサンであれ、一枚のページの中で最も重要な役割は常に余白の部分に委ねられている。」

俳句は沈黙の文学といわれる。直接的な説明せずものに思いを託して語らせる。
因果関係や理屈、経緯などは描かない。

フランスの思想家 ロラン・バルト 
「日本を記号の国、西欧を意味の国」と呼び、西洋人は言語に見切りをつけることが不得手。

俳句とは、一個の風景、一個人の経験、感動を遥かに超えたところに貫かれている普遍的な真理を描くものである、。

「型破り」とは型の体得の上にこそ成立するもので、それ抜きには単なる「型崩れ」に過ぎない。

悟りということは如何なる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合も平気で生きている事であった。

俳句には負を正に転ずる向日性がある。「いいおおさない」からこその転換である。「いいおおさない」とは何かに委ねることである。委ねるとは共有することであり、信じることである。
短い言葉で言い切ることと自然を詠むことは、委ねるということでつながっている。 
17高浜虚子 俳句の力  著者 岸本尚毅
ヒント絵にならない俳句
  大いなるものが過ぎ行く野分かな
  紅梅の紅の通える幹ならん
  去年今年貫く棒の如きもの
 これらの虚子の句を絵にしようとするとどうしても絵にならない部分がある
 通りすぎていく野分の威力、紅梅の幹の中を通う紅の花、年の節目を貫き通す時間の流れは色や形では書けない。

「写生」ということを狭く解して攻撃する人がある。別に恐ろしくない。広く解し深く解し鋭意それによって新しい境地を開いていく人にはなんだか恐ろしいような尊敬の念が起こる。

目の前の季題
  淋しいとか、かなしいとか、嬉しいとか、たのしいとか、その他いろいろの感じを現そうという場合に、如何なる季題をもってその感じを現すかということは俳句を作るものの最も心すべきことである。
 飛騨の生まれ名はとうといふほととぎす
  避暑地のホテルで少女に話しかけた。名前をとうという。季語にほとどきすを付ける。さわやかな山の自然を連想させ「とう」という名の娘に山の精を写しこむ。  
 藤垂れて今宵の船も波なけん
  今宵の船も波なけんの風景を思い描き藤垂れてを上五に据えた。垂れているのと波のないのが風のない日和に港に佇む姿が思い浮かぶ。

山本健吉のことば
  俳句に遊ぶということは、一面では日本の風土現象と日本人の生活全般にわたってのこまやかな認識を目指すことであるとともに、他面では日本民族の長い心の歴史の上に築き上げられた一つの美的秩序の世界、擬制的な約束の世界に遊ぶことなのである。

流れ行く大根の葉の早さかな
勢力 開平氏のことば
  ものの捉え方は人によって違う。「ありのまま」も人によって違ってくる。
  心を白紙にするのは一つの技術であろう。
  「大根の葉」の句は写真では表現できない。
   大根の葉の早さを捉えたのは、虚子の心の白紙化の技術であり、自己否定の技術である。
   虚子はいわゆる感覚、や感性を信じていない。
   客観写生とは自己否定によって存在の本質に迫り、その捉えたものを言葉に置き換えて五七五という形式に閉じ込める技術である。
   五七五という形式には、その形式が求めている叫びがある。俳句とは写生であると叫んでいる。

見たり聞いたり、認識したり感じたりする主体があるからこそ俳句が生まれる。文字数が少ない俳句は、対象を描くだけで精一杯。逆に対象を描くことに専念できる。

ながながと川一筋や雪の原  凡兆
  川と雪の原の七文字に凝縮し残りの十文字に余計なことは言わずに単純な風景を単純なまま大きくゆったり詠たいあげた。

俳句はもっとも短い詩である。その短いということが長所である。短く叙して長く響くことを志すべきである。
梵鐘一打、響きはいつまでも伝わっている。そういう句であるべきである。


  煮ゆる時蕪汁とぞ匂ひける
  たてかけてあたりものなき破魔矢かな
  どかと解く夏帯に句を書けとこそ
これらの句は、「煮ゆる時」「たてかけて」「どかと解く」という簡要な描写と「匂ひける」「破魔矢かな」「書けとこそ」という詠嘆から成り立つ。
虚子の句は、写生と諷詠、描写と詠嘆という二つの異なる言葉の働きを縒り合わせたもの、安定感が増す。 
18俳句用語の基礎知識  著者 村山古郷
ヒント夏炉冬扇  
 夏の炉、冬の扇のように世間の実用にならないもの
季題・季語・季重なり・無用論
 季題 連歌、俳諧、俳句で四季折々の季節感を表すために一句に読み込む題。またはそれを表す言葉。
 季語 季題とほぼ同じだが、句に読み込む語。
 現代俳句では、季題より包括性のある季語が多く用いられている。

 一句のなかに複数の季語 主題や感動が不明確になる。
境涯俳句
 作品に作者の身上、境遇が裏付けされている句
 「俳句は私小説である」石田波郷の言葉
 
切字
 「や」「かな」「けり」が代表的なもので詠嘆の意味を持つことが多い。
 強く言い切る働きをする語で、切れを生む

兼題
 前もって出題するもの
席題
 句会当日に会場で出されるもの
当季雑詠
 句会のころの季節の季語を入れる
披講
 句会で選句を読み上げること

しをり(しほり)
芭蕉俳諧の理念
写生
 実際のありのままを写すことを写実といい画家の語を借りて写生という
主観と客観
 主観は個人個人で違う見方・考え方、客観はだれが見ても同じ見方・考え方
五月雨を集めて涼し最上川 が最初に詠ったもので 五月雨を集めて早し最上川 になった
 凉しは川を控えた家の景をほめたもので主人の招待に感謝を込めている
 早しは一般の人を対象にしたときのもの

風体
  ふうてい ふうたいでも良い
  文芸上の様式のこと
高浜虚子は
  俳句は多くは言わず少なく言う文芸である。少なく言いて多くの意を運ぶ文芸である。
  多弁饒舌は他(小説や短歌など)にある
わび
 侘びは侘しいすなわち辛い・貧しい・やりきれないなど不満不足を感じて心細く思い患う気持ちを表す言葉
さび
 寂びは喜怒哀楽を表す表現のひとつの「さびし」が天地自然の幽玄のなかにあって閑寂な境地を愛し、俗悪華美な
 富や権力に対抗する寂寥の精神を育て、静寂枯淡に洗練された情緒をこころざす美的理念を表す名詞 
19俳句実作の基礎用語  著者 俳句研究編集部編
ヒント風雅・風狂
    反対語は世間・世俗
夏炉冬扇
    時期に合わず役立たないこと 世間の好みに合わず役立たない
即興
   どんな人でも俳句を作るときは無意識であっても即興、即吟の精神になる
   自覚できるようになれば本物の俳人
類想・類句
   俳句が有季定型という枠組の中で作られるし、感情移入の方法が似ているため生じる。
     避けるためには、先人の句を十分に読みこなし、実際の吟行では人の見ぬところを見て詠む。
     詠んだ句を先輩に見てもらう。
月並俳句 
  月並派は
   1.感情ではなく智識に訴えようとする
   2.発想の陳腐を好み新規を嫌う
   3.表現のたるみを好み緊張を嫌う
   4.洋語を用いず漢語や雅語もあまり使わない
   5.系統や流派を重んじ、その派の開祖やその伝統を受けた人たちの作品を寡作であると否とを問わず無比の価値あるものとする
   洗練された垢抜けたところがなく、その上「だから」という要素が潜んでいて理屈っぽいことである。
自由律俳句
   俳句としてのポエジー(詩をなりたたせる核心)が何かという問題と、どのようにして韻律を獲得するかという問題
時事俳句
   一時的に現れては消える事象としての事件や話題を読む
   赤い羽のように毎年定例的に行われる行事は時事俳句にはならない
主観・客観
   主観は個人個人の独自の見方、捉え方 客観は万人に共通した普遍的なとらえ方
   表現は何処までも客観が重んじられ、解釈・鑑賞には主観が求められる
定型
   5音7音5音
   句またがり、破調(字余り 字足らず)

撥音(ん)促音(っ)長音(ー)は一音として数える
具体的には
    小さな「っ」はそれだけで一音
    音を伸ばす「ー」(長音符)も、それだけで一音
    小さな「ゃゅょ」は前の字と合わせて一音
    小さな「ァィゥェォ」も前の字と合わせて一音

撥音(はつおん)=「ん」
促音(そくおん)=「っ」
拗音(ようおん)=「ゃ」「ゅ」「ょ」「ゎ」
直音(ちょくおん)= 「アイウエオ」「カキクケコ」などの普通の音のこと
「撥」には「はねる」「はじく」という意味があり、撥音は「バチを使って生ずる楽器の音」
「促」には「つまる」「せまる」という意味があり、促音は「つまるような感じを与える発音」
「拗」には「ねじる」「すねる」という意味があり、拗音は「や・わの二行の音が他音と合して生じるまがった音」

重畳方(リフレイン)
    フレーズを繰り返して強調する
擬音語・擬態語
    実際に聞くことができる下界の音や動物の鳴き声などを言語音によって表現すること
切字・切れ
    「や」「かな」「けり」で言い切る
    秋風や鈴鳴りにけり枯れのかな
       のような使い方
季題・季語
  1.俳句に季節の言葉(季語)をいれる約束
  2.特定の季語に特殊な意味を持たせる約束
調べ
  詩歌の音楽的な効果
  最近ないがしろにされている
余情・余韻
  言外に漂う情趣、気分情調をいう
  余情は よせい ともいう
  表現するには全部言わずに言い残しておく
  理屈を排すこと
題詠 題を決めて俳句を作ること
   席題、兼題も含まれる
   兼題は句会であらかじめ宿題として提示されるもの
   席題は句会の席上で出された題で詠むもの
推敲
   字句を練ってより良い作品にする
   ただし、作品に推敲の跡が感じられてはいけない
添削
   言葉を加えたり削ったりして詩歌、文章をよりよく改めること
   他人が行う。自分でするのは推敲
旅吟
   旅をしながら詠む
吟行
   作句のために日帰りないしは泊りで名所旧跡などを訪れること
   漫然と景色を見ているだけではなかなか作品はできない
   写真は撮りすぎないこと
   おしゃべりをしすぎないこと
名所俳句
   観光名所で詠まれた俳句
   名所で名句を詠むには、そこを訪れた事実には意味がないこと、そして珍しさに目を奪われないことが大切 
20立子へ抄  著者 虚子
ヒント俳句の選は俳句を作ると同じことと相並んで重きをおくべきである。
選句に努力する人が少ないのは残念である。 自分の句の評価ばかり気にする人は
上達しない。

どんな片々たる企でも真面目にやれば相当な効果を納めるものである。

俳句を作りたい人の二種類
 
 自分の感じをなんとか表現しないと気が済まない人む
   俳句は季題がいるので客観景色を踏まえて表現するようにと指導
 ただ、感じというものはないが俳句を読んでみたいと思う人
   季題が必要なので景色の写生を勉強するように指導

俳句は半ば調子で生きるもの
  飛躍のみでなく澄んだ調子もある
  心に応じたそれぞれの調子が大切

写生
  人間の顔はこんなものだと考えて書いた絵は面白くない。
  顔ということも忘れて、ただ目に映る線、凹凸、光、陰影を
  画家がそれを受けた感じを大事に写生したものは素晴らしい絵になる。

句会の互選
  作った当座は善悪はわかりづらい。
  月日がたって後に見るとつまらぬものが多い。
  つまり、熱した製作と冷ややかな鑑賞は同時には成り立たぬ。
  だから他人の評価が大切。選に漏れた場合でもその選を正しいと思うこと。

仕事
  滞りなく遂行
  溜めてからとりかかる。
  たまっていた仕事は自ら崩壊してしなくても良いものになったりする。

季題
  まず季題は何かから取り掛かるべきである。

文章に構想はいるか
  構想ばかりに骨を折って肉や地が通っていないものもある。
  骨格がバラバラでも地の通っている方が良い。

俳句というものは、下手は下手なり、上手は上手なりに作りもし、しゃべりもすればよい。
自然の妙味をその人相当に把握して詠うということが俳句である。
人はおのおの天分がある。その天分にしたがって俳句を学べばよい。 
21俳句はかく解しかく味わう  著者 虚子
ヒント自分の意に適して何の巧もなくそのまま詠ずることが俳句の歩むべき道。
滑稽でも洒落でもなく閑寂の趣こそ俳句の命。
柳緑花紅が仏者の悟りであるように敢えてものを遠きに求めるわけでもなく,実情実景そのまま朴直に叙するところに俳句の新生命はある。
前置(場所などの補足説明)というものは、置かねばならぬ必要ある場合に限り置くべき。むやみに置かない。
「単純なる事棒の如き句」こそ俳句において珍重すべき
「ボーットした句、ヌーッとした句、ふぬけた句、間抜けた句など」こそ作らねばならない。

河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)と虚子はライバル(取り組方、考え方が違う) 
22俳句への道  著者 虚子
ヒント俳句は宿命として絵画と甚だ似通ったものである。
客観写生は、主観を喜ぶ時代を経過して客観に到達できる。

花鳥諷詠といっても花鳥ばかりをいうのではありません。
地球が太陽のぐるりを廻るがために生ずる四季の変化、そのあらゆる現象、その現象が私等に働きかける、私等もまたその現象に働きかける。それによって慰安をうる。それに風懐を遣る。そのあらゆる現象を花鳥の二字で表す。

俳句は客観に重きを置かねばならない。どこまでも客観写生の技量を磨く必要がある。その客観写生に努めていると客観描写を透して主観が浸透してでてくる。
主観を喜ぶ時代は必ずあるが、その主観の時代を経過すると何時か客観に戻ってくる。
小さいことを透して大きな主観が滲み出るということは作家の技量による。作者が一句を仕上げるうえの多年の修練、その人の天才 、ひらめき、つまりその句が玉成されているか、あるいは瓦礫に終わっているかにより決まる。
年の浅い人は平易な句は物足りなく思う。その奥に潜む主観を解し得ないからである。

感慨はどこまでも深く、どこまでも複雑であってよいのだが、それを現す事実はなるべく単純な平明なものが良い。
蕪村が言ったように、流行というものは円の線上を走っているようなもので、人に遅れているように見えているがかえって人の先を走っていいることになる。

材料の複雑と単純は、比較的単純なものを採る。単純に叙して複雑な効果をもたらすものを尊重する。
斬新ならんとして怪奇なるものは棄てる。陳腐なものは好まないがその中に一点の新鮮味があればこれを採る。
大衆はとかく感情をむき出しに詠いたがる。
客観の事実を通して自分の主観が窺われるようにしたい。
まず俳句とはどんなものかということを研究してそれから論を立つべきである。
俳句は思想を制限するものではない。ただ、俳句は季題の文学である。花鳥諷詠の文学である。客観描写を主とする範囲で思想を諷(うた)
うべきである。

俳句の目的は求道ではない。俳句その他の文芸の目的は美にある。真ではなく美である。

和歌は叙情に適し、俳句は叙景に適する。
 ・叙情詩=感情を述べた詩。
 ・叙事詩=事実や事件などをそのままに述べた詩。
 ・叙景詩=景色や風景を見たままに述べた詩。

庭にある石は唯石を地上に置いただけでは力がない。その石の地中に埋まっている部分が深ければ深いほど力がある。

「深は新なり」沈潜して研究している結果生まれてくる。

深い心の人、浅い心の人、狭い心の人、大きな思想家、小さい思想家、懐疑派、憤慨家、呑気者、労働者、知識階級、貧乏人、物持ち、それらは問わない。
いかなる種類の人でも本当の心持ちを詠ったものは結構。

何を写生するか、どういう風に写生するかという両方が大切。

三傑集  蕪村、暁台、蓼太

客観写生ということを志して俳句を作っていくということは、俳句修業の第一歩として是非とも踏まねばならない順序である。
花なり鳥なりを向こうにおいてそれを写し取ることである。自分の心とはあまり関係がないのであって、その花の咲いているときの模様とか形とか色とか、そういうものから来るところのものを捉えてそれを詠うことである。

書物から来た学者の説はちゃんと辻褄があっていてなるほどと合点がいく。ただし、よく考えてみると空虚な感じがないでもない。実際から来た人の説は辻褄の合わないところがある。なぜもっとはっきりしないのか思う。ただし、なるほどと合点が行くことが多い。


「下萌えぬ人間それに従ひぬ」 立子
という句がある。天地の運行にしたがって百草は下萌えし、生い立ち、花をつけ、実を結び、枯れる。
人もまた天地の運行にしたがって生まれ、成長し、老い、死する。

 
23俳諧大要  著者 子規
ヒント俳諧をものするには空想によると写実によるとの二種あり。
写実には人事と天然あり、偶然と故為とあり。
人事の写実は難く天然の写実は易し。偶然の写実は材料少なく故為の写実は材料多し。故に写実の目的を以って天然の風光を探ることもっとも俳句に適せり。
山寺可なり、漁村可なり、広野可なり、渓流可なり こいずれの処か俳句ならざらん。
普通に旅行するときは名勝旧跡を探るを常とす。名勝旧跡必ずしも美術的の風光ならずといえども、しかも歴史的の聯想(連想)あるがために俳句をものするには最も宜(良ら)し。しかし名勝旧跡の外(ほか)にして普通尋常の景色に無数の美を無数の美を含みおることを忘るべからず。名勝旧跡はその数少なく、人多くこれを識るがゆえに陳腐なりやすし。名勝旧跡を目的地として途々天然の美を探るべし。
作者もし空想に偏すれば陳腐に堕ちやすく自然を得難し。もし写実に偏すれば平凡に陥りやすく奇闢(きへき)なりがたし。空想に偏する者は目前の山河広野に無数の好題目あるを忘れて徒に暗中を模索するの傾向あり。写実に偏する者は古代の事物、隔地の景色に無二の新意匠あるを忘れて目前の小天地に跼踳(きょくせき)するの弊害有り。 


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